10 永明地区の近・現代(その1)

1868年に江戸幕府が倒れ、新しい政府が生まれた。この年、上野国は岩鼻県の統治下に入った。その後、明治2年の版籍奉還、明治4年の廃藩置県をへて、現在の形の群馬県が生まれたのは明治9年の8月のことであった。県庁は一時高崎に置かれたが、この年の9月に前橋に移された。

この間、地域によっては、むら(大字)の合併や村名の変更がなされたが、永明地区においては統廃合もなく、江戸時代以来のむらがそのままの形をとっていた。ただ、東上野は、従来の「上野」から「東上野」と称するようになったが、その時期は明治6年のことである。明治10年の『郡村誌』によると、「群馬県東ニ当リ当今東上野村ト改ム」とある。

明治4年までは、むらは従来と同じように、名主が村役人としてその支配にあたっていた。翌明治5年に名主制度が廃止されて区長制度が生まれ、大区に区長、小区に戸長がおかれるようになった。郡内はいくつかの大区に分けられ、その中がさらにいくつかの小区に分けられた。小区は数コのむらをもって組織されていた。

永明地区の場合、駒形が第7大区の第8小区、天川大島、上大島、野中が第9小区、女屋、上長磯、下長磯が第10小区、小島田が第1小区に属していた。その後明治11年に郡区町村編成による戸長時代をへて、明治21年の市町村発布によって、明治22年4月1日より木瀬村(14大字)の誕生となったのである。

                                                                   (『農協えいめい』1972.4.20 23号)

No.9  永明地区の近世(その4)
No.11 永明地区の近・現代(その2)

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