23 永明地区の近・現代(その14)

以前は各大字の辻などによく危険物箱を見かけたものである。この危険物箱の設置はかつての青年団活動のひとつであった。そのほかに道しるべを建てたのも青年たちの仕事であった。

今回は、むかしの青年たちの活躍ぶりを組織の点からみることにする。天川大島ではかつては若衆組があり、満15歳より満25歳までの同村在住者が義務的に若衆組に加入していたということであるが、その仕事としては、区の共有地を無償で借りて共同耕作をしたり、神社の祭典の世話や、地芝居の興行をしたとのことである。

また婚礼に際して、嫁の出迎えや、式場での謡をうたうことなども若い衆の大事な仕事であった。ところで、村内の疲弊ぶりをみた青年たちは、相集まって勤倹貯蓄、風俗矯正、道徳尊重などをかかげて、明治36年6月に、天川大島青年同志会を組織した。その後同会は、村単位郡単位の青年会の傘下にはいったが、その活動は若衆組以来の伝統を継承し、さらに発展させていったものであった。

女屋町の青年会は明治37年の発足とのことであるが、その活動は天川大島の場合と同じようなものであった。その中で、一家の団結をはかるためにヘソクリの禁止を強調したというのはおもしろいことである。これは家族のものが内緒に私金をためることの必要のないような家族経営をするのが親のつとめだということだったそうである。これは明治時代のことであるが、青年会の活動としてはユニークなものといえよう。

                                                                 (『農協えいめい』1973.07.01 36号)

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No.24 永明地区の近・現代(その15)

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