1 原始時代の永明地区

永明地区にはいつ頃から人間が住みつくようになったのだろうか?
この地区での計画的な調査が行われたわけではないからはっきりしたことは言えないが、縄文文化の時代の遺物は、東上野、女屋、小島田の高台に散布しているから、そこに住んでいた事は判る。この三つの町の畑を耕作しておられる皆さんの中には、きっと縄文式土器や石斧とか矢じりにお目にかかっている方もあろうかと思う。今まで小生のみたところでは縄文文化の時代の前期に属する土器があったから、今から数千年前にはこの地区の台地には、狩りや漁撈などに従事しながら、われわれの先祖ともいうべき人達が住んでいたと言えよう。縄文文化のあとの弥生文化の時代の遺物は今のところ発見されていないようだ。隣接するもとの桂萱地区や城南地区からは弥生式土器が発見されているから、この地区も当時の人びとの生活の場であったと考えられる。そのころ利根川は天川大島から野中、上大島、上長磯、下長磯、女屋、小島田の辺りを蛇行しながら流れていたようだ。

むかしの利根の河床だったところも、高台の里山とともに当時の人びとが生活の糧を得るために歩きまわった場所であったのである。

(『農協えいめい』1971.6.20 14号)