17 永明地区の近・現代(その8)

我が国で学制が公布され、公教育が行われるようになったのは、1872年(明治5)のことであった。それ以前に庶民の教育機関として寺子屋や私塾が各地に開かれていたことは周知の通りである。本地区にも学制公布以前に、6カ所の寺子屋があったという。(勢多郡誌)さて、永明地区における小学校の始まりはどうであったか。1873年(明治6)に下大島・女屋・駒形の3カ所に小学校が開設されている。下大島の学校は大島学校といい、来迎時を仮校舎として同年1月20日に開校した。通学区域は天川大島・野中・上大島・下大島であった。

女屋の学校は昇発学校といい、同村9番地に仮校舎が建てられ、4月の開校。通学区域は女屋・上長磯・下長磯。駒形の学校は同年8月の開校で、豊受小学校といった。翌年の9月に大島学校と昇発学校が合併して、上大島の浄土院を仮校舎として永明小学校が発足した。

ところが翌年1月に浄土院の焼失により一時校舎を下大島の来迎時に移して授業をしていたが、牧俊八氏の寄付によって、7月に現在地に新校舎が建てられたのである。その後、永明小学校、豊受小学校とも名称や組織の変更があった。下増田に分校設置(明治19)、木瀬高等小学校の開校(明治24)、駒形尋常小学校開校(明治26)、永明尋常小学校に高等科設置(明治27)などの変遷をへて、1933年(昭和8)に増田小学校の駒形小学校への合併によって、永明地区の小学校は駒形と永明の2校となった(旧木瀬村としては他に笂井小学校があった)。

                                                                 (『農協えいめい』1972.12.01 30号)