今回は駐在所のことを記してみよう。明治維新によって、警察制度が設けられたのは1873年(明治6年)のことであった。前橋にも同年に現在の警察に当たる区庁というのが設置された。
ところで当地区に駐在所が設置されたのはいつであろうか。その前身として明治10年2月に伊勢崎署の管轄下に駒形分署が設置されている。明治16年に新警察区画が実施されて、前橋警察署直轄の巡査派出所が駒形に設置された。同時天川巡査派出所が天川大島の川辺に設置されている。
町村制が実施された1889年(明治22年)の翌年に駐在所の制度が実施されて、旧木瀬村では小屋原・駒形・上長磯の三カ所に巡査駐在所が設置され、それぞれ受け持ち区域を分担して治安維持の任にあたっていた。警察区画は明治時代から何回も改編されている。
受け持ち区域は、小屋原駐在所(明治22年~34年の間は、下増田に駐在所があった)が小屋原・上増田・下増田・笂井・小島田、駒形が駒形・下大島・天川大島、上長磯が上長磯・下長磯・野中・上大島・女屋・東上野であった。その後、交通事情の変化により、上長磯駐在所は、交通の便の良い野中地内の国有地に移転した。時に昭和35年3月21日のことであった。
駐在所の警察官は昔から「カンクさん」とよばれ、一面で恐れられながら地域住民の中に入って親しまれてきた。かつて親が子供を叱るとき、「カンクさんにいいつけるぞ」と言って、子供のしつけに、カンクさんの権威を利用したものだ。今の親たちはどうしているのだろうか。最近はカンクさんのサーベル姿を知らない世代がだんだん多くなってきているのである。
(『農協えいめい』1974.4.14 42号)(終刊号)
No.28 永明地区の近・現代(その19)へ
